
赤の広場(あかのひろば、ロシア語:Красная площадьクラースナヤ・プローシシャチ)は、ロシアの首都モスクワの都心部にある広場である。 「赤」はソビエト連邦の社会主義に起因するものではなく、元々は古いロシア語で「美しい」という意味であり、広場の名前は本来「美しい広場」というものであった。広場は東西に長く、南にはスターリンや片山潜などが眠るクレムリンの城壁とその中の大統領官邸、城壁に接しているレーニンの遺体が保存展示されているレーニン廟、北には国立百貨店・ГУМ(グーム)、西には国立歴史博物館、東には葱坊主の屋根の聖ヴァシーリー寺院と処刑場・布告台だったロブノエ・メストがある。 1493年、モスクワ大公国の統治者イヴァン3世が、自らの居城であるクレムリンの前の市街地を広場として整理させたのが起源とされる。以後、商業地域のキタイゴロドと区別され、モスクワ大公国やロシア帝国(ロマノフ朝)の重要な国家行事がここで行われるようになった。 ロシア革命後に成立したソ連の首都がモスクワに定められると、クレムリンには最高指導者が居住したため、赤の広場の重要性は更に増した。ソ連時代には、革命記念日である毎年11月7日にここで閲兵式(軍事パレード)が行われた。西側諸国のジャーナリスト達は、閲兵式のためにクレムリンの城壁の上に並ぶソ連共産党指導者たちの並び順を見て、公式には明らかにされない共産党内の序列を確認し、権力闘争のゆくえを観測する「クレムリノロジー」の手法を採用していた。また、独ソ戦によるナチス・ドイツの侵攻でモスクワが危機にさらされた1941年のパレードでは、参加した軍隊がそのまま郊外の防衛最前線に直行する事態になった。そして1945年には対独戦勝記念の記念パレードが盛大に行われた。 1987年5月28日に西ドイツの青年マチアス・ルスト(当時19歳)の操縦するセスナ機がヘルシンキから飛び立ち、赤の広場に強行着陸する事件が起きた。ルストは自由剥奪4年の実刑判決を受けるが翌年国外退去処分となる。小型機の侵入を防げなかったことでソ連軍は防空体制の甘さを糾弾され、セルゲイ・ソコロフ国防相はじめ防空軍総司令官らが更迭された。この事件は、当時のゴルバチョフ政権にとっては改革に反対する軍部の保守強硬派幹部を更迭する理由として、むしろプラスに働いた。ソ連末期の1990年には、クレムリンと共にユネスコから世界遺産に文化遺産として指定され、1991年に登録された。 かつてはレーニン廟とともに社会主義体制の聖地とされたが、ソ連からロシアに政治体制が変わった現在では商業的利用もなされる。1988年公開のアーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画「レッドブル」では、アメリカ映画として初の撮影許可が下りた。 1993年5月に、山本寛斎が12万人を集めるファッションスペクタクルを開催。2003年にはイギリス人のロック音楽家で元ビートルズのポール・マッカートニーがコンサートを開いた。2004年には日本の食品会社、日清食品のカップヌードルのCM(NO BORDER シリーズ)で赤の広場が撮影場所となった。外国人の観光客も多く、モスクワで結婚式を挙げたロシア人カップルが挙式後に訪れる定番地としても知られている。
(画像は弊社撮影・説明文はウィキペディアより引用)